ラベル 朝高 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 朝高 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2011年2月26日土曜日

ここしばらくのことなど

 今日は2月26日、226である。昨日は暖かかったのに今朝は寒い。寒風というか。川崎球場であるアメフトアジア選手権はやめておこうか。西京極ではじめて東野を見たのは、1993年の秋である。対京大戦にちらっと出た。一回生。注目というか、嘱望されたいた。当日は関西で結婚式があった翌日で、ニフティのアメフトフォーラムの人たち、特にはFさんと一緒に観戦・応援をした。寒風のなか西京極競技場なので帰りに腰が痛くてかなわなかった。このときに椎間板ヘルニアが顕在化した。1993年の11月終わり頃だったか12月のはじめに入院をして年末に退院。そして翌年1994年の1月は自宅療養をしたことを思い出す。

 その翌年に母校ははじめて東野を擁して優勝をした。1994年か。それから連続優勝かなとおもったら1995,1996と勝てなかった。1996はプレーオフになった。そのときに校友会の座談会で上洛をした。それが12月7日である。というのは、その日に関西のブレーンのメンバーとオフをしたからである。これは今でも京都慕情ということで残っている。そのときのメンバーの方などと2月23日に横浜でオフ(飲み会)があった。ブレーンのMLはどうも1995年にはじまったようだ。(2/23の話では)長く続いている。日頃とは違う場面をネットにもっておくことはなかなかいい。そしてこんなふうにたまに呑んだりしてリアルにコミュニケーションをする。




 同じ23日に高校時代の友人とあった。定年退職にあり本社での送別行事などあったらしく上京したので連絡をしたとのこと。うれしい。なかなか会えないので連絡をしてきたのであろう。昼間、羽田空港であった。まあ、久しぶりであるしビールでも飲みながら。同じ年代というか、同じ歳なので何かと話があう。

 翌24日は、校友会関係の知り合いと呑んだ。大手町である。そのまえに、定年後の生保関係の手続がありそれを丸の内で行った。うーん、いろいろとあり...面白い。定年にあたりいろいろな手続があり、それで会社の一面がみえる。大手生保会社のしくみが意外にダメであること(整斉となされていない。フレシキブルがないなど。従来型から抜け出せないのだろう)が当然ではあるがみてとれる。生き残りというのは、時代に応じて変化をしていかないといけないのだろう。保険そのものも人手をかけて獲得するやり方が時代遅れであろう。どう克服していくのかがそれぞれの会社の課題かな。

 25日、つくり昨日はテレワーク学会の研究会であった。なかなか刺激的である。クラウドコンピューティング、クラウドソーシング...うーんそうだ。サービスサイエンスの動き。時代はどんどんかわっている。それについていけないと脱落する。そういうなかで企業という組織のアイデンティティが問われる。そんなことかな。ベネトンやナイキはメーカーではなくマーケティングの会社とか。

 研究会のあとは懇親会。これも楽しい。いろいろと刺激的で面白い。

2010年12月23日木曜日

深大寺

 21日は深大寺に行った。松本清張の『波の塔』にでてくるところである。あの物語から深い森を想像していたが、お寺そのものはそうではない。イメージとちょっと違ったかな。



 この会合も少し面白い。高校の同窓会のつながりであるが7,8歳上の人たちである。後輩の今回の定年をそれなりに遇してくれるということもあった。もちろんそれだけではなく。

 それで蕎麦屋で食事でもとのこと。少し呑みすぎた。蕎麦湯割の焼酎をずいぶん飲んだ。そしてコーヒー。いろいろなお話もうれしい。

2010年12月17日金曜日

ある会合で偶然にも



 12月15日は、大学の先輩などからリタイアのお祝いということで一席設けてもらった。その先輩の会社の従業員クラブである。慣れない場へいきエレベーターに乗ろうとするとあまり慣れていないよう人が飛び込んできた。ふと横顔をみると高校時代の同期である。思わず声をかけた、相手の方が驚愕のふう。なぜお前がここに?と。めったにない偶然であった。

2010年6月20日日曜日

在京高校同窓会常任幹事会in赤坂(6/19)

 昨日は在京の高校同窓会の常任幹事会。今まではある会社が事務局を務めていたが、今回からは別途事務局を置くことになったために、そのあたりのことを含めての会議であった。会議の場所は赤坂にある同窓生が経営する和風居酒屋を営業時間外なのか昼間に借りてである。昼食の弁当がでたので、まあその程度は特別に営業なのかもしれない。
 今まで特定の会社に全面的にお世話になっていた。ある意味では正常化なのだろう。これを機会にネットワーク化などにもとりくめたらいいのかもしれない。会則、web、名簿(個人情報保護を含めて)などいつもに比べて侃々諤々の議論があった。そもそも同窓会をなぜやるのかを議論をしたらいいかもしれない。横・同期会と縦・同窓会の議論は有益であろう。同窓会そのものが魅力がないのかもしれない。本当は学校の縁で今まで知らない人たちと知り合うのは何かと意味がある。刺激がある、違った世界を見る、年代を超えるからこその何かが....

2010年5月16日日曜日

在京同期会 in霞ヶ関


 昨15日(土)夕刻から、霞ヶ関ビル1fで在京の高校同期会を行った。1997年以来、毎年やっている。確か、1991年に始めてそのときに幹事を任命。1995年に行い。その後は高校全体の幹事を同期で担当して以来ずっとやっている。最初は、何かと集まろうと年に何回も集まることがあったが最近はほぼこの一回で落ち着いている。在京の高校全体の同窓会にあわせて、その後に設定するのが恒例となっている。今回の参加者は11名。他の年次の方1名を含むので同期は10名となる。今年はメンバーが還暦の年であり何かイベントでもと考えたがあまり良いアイディアはでない。修学旅行で行ったところをたどるかなんて考えたが、そもそもみんながきちんと覚えていない。羽田空港、宮城、....鎌倉、日光、富士急ハイランド、富士山五合目がちらちら思い出す。
 もともと幹事を行っていて一番大変なのは出欠の返事がないことである。このフォローがなかなかである。もちろん来たい人だけでいいじゃないかとも思う。それぞれ同窓会そのものなんて自分の関心のなかでは低いものだからやむをえない気はする。場所の設定や人数の確定がないと会場との話もできないというところを理解してほしい。
 改めて、こういう同期会の意味とか、目的とかを考えて対応するか。同じ高校の中でも同期が集まる年次とそうでもない年次がある。同期会があるのはやはりいいのではないか。ない年次は何も考えないかもしれないが他と比べて寂しいのではないか。全体の同窓会への出席でも知り合いがいるのと一人ぽつんとでは楽しみが違うのではないか。幹事団の年次以外にそれなりに参加しているのはわが同期である。こういう無形の何かも意味があるのではないか。なくなればわかるというものかもしれない。つまり資産ではないか。資産を殖やすのはみんなの協力というか、....

2010年4月11日日曜日

在京同期会世話人会(4/10)

 昨日、高校の同期会の打合せをやった。40歳の初めの頃、確か1991年にはじめて関東で同期会をした。その後、1995年にやり、1997年に東京の同窓会の幹事役を同期で担って以来、毎年同期会をやっている。在学中の440名のうち約70名くらいが関東にいるようだ。

 毎年、東京の同窓会に続けて夜の部としてやっているのが少しマンネリ化してきた。それに、還暦を迎えることから昨年の同期会で提案し世話人会という幹事団を編成した。

 やはり企画立案は一人ではなく衆知を集めること。みんなでわいわい意見をだして最後はまとめる。そんなふうに意図した。職場ではなくなかなか集まることができない。連絡もなかなか一筋縄にはいかない。それでもやっと会合ができた。これから手配、連絡などをやらないといけない。

 こんな小規模のものでも組織化するのは簡単ではない。まあ、いろいろとある。だからこそ工夫や知恵も必要である。もちろん地道な作業もである。