ラベル 立命 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 立命 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2011年2月5日土曜日

昨夜は第11回ひやく会


 2月4日は、第11回ひやく会だった。出席者は9名。まあまあの人数だ。これでも話をはじめると多いくらいかもしれない。Kさんの音頭とりで年に二回やっている。すでに11回目だ。半年に一回ということもあり一人ひとりに一言がある。今回は、ゴルフを年に241回だったか、そんなふうなお話とか、百名山巡りとか、日本語教師のことなど話題が盛りだくさんである。同じ大学ということで大学論議もあった。なかなか楽しい。
 話題は、スマートフォン、ゴルフ、ボート、新潟、日本語教師、アクチュアリー、戸塚カントリー、....だったかな。

2010年12月17日金曜日

ある会合で偶然にも



 12月15日は、大学の先輩などからリタイアのお祝いということで一席設けてもらった。その先輩の会社の従業員クラブである。慣れない場へいきエレベーターに乗ろうとするとあまり慣れていないよう人が飛び込んできた。ふと横顔をみると高校時代の同期である。思わず声をかけた、相手の方が驚愕のふう。なぜお前がここに?と。めったにない偶然であった。

2010年11月28日日曜日

11月26日はかけもち


 11月26日は、たまたま会社の予定と社内の校友会の予定が重なった。一方は主賓的(送別会)、ある一方は幹事的ということで外せなかった。会社の宴会を一時間程度で切り上げて、タクシーでみゆきクラブから八寮へ移動した。スタートが30分くらいずれていたので両方ともそれなりにこなせたかな。あとのほうも二次会もやり満足。九州からこられたKさんとも会えてうれしい。

2010年11月21日日曜日

壮行会 立命



 11月19日は、会社の立命関係者で定年の壮行会をやってくれた。久しぶりに会う人等いろいろとかけつけていただきうれしく思った。思えば、1990年代にリエゾン活動ということで母校との関係をもったことで、校友とのネットワークが広がった。そしていつの間にかそちらの活動へものめりこんでいる。まあ、縁をつなげてか。



 20歳代だった人たちがもう既に40歳代、こちらが歳をとるわけだ。

 まとめてくれたYさん、かけつけてくれたみなさんに感謝。柄になく感激。スピーチでは厳しい面接のことなどに及んだが良き思い出であろう。会話がなりたてばそれはそれでよい。知識を問うつもりではなく質問にどれだけ考えて対応できるかである。



 一緒に活動をしたTさんが挨拶と乾杯、同じくIさんが〆の言葉であった。

2010年7月10日土曜日

東京Rの会 7月定例会 in御徒町(7/10)



 毎月、第二土曜日に行われる「東京Rの会」に久しぶりに出た。御徒町の駅を降りて広小路のあたりで有田芳生の選挙活動に出くわした。同窓なのでがんばれと声をかけたくなったが....彼が出ていることは知らなかった。聞くところによると三回目の立候補とか。



 さて、この会は勉強会でもあるし、いろいろなお話が聴けて刺激をうけられる。今日は省エネ住宅のお話である。断熱材の使い方というか、ガラスでも壁でも。熱貫流率なる言葉がキーワードかな。

2010年7月4日日曜日

本年の校友会総会・懇親会無事終わる


 昨日,7月3日(土)母校の神奈川県校友会の総会・懇親会があった。事務局として走り回り終わってホッとしたところである。でき得る限りのメディア(電子メール、ホームページ、BBS,SNS,広報誌、口コミ等)を使いお誘いをした。いろいろとご都合もあり千三つの世界である。

 多くのいろいろな人たちが集うからこそ楽しくてためになる。そのために勧誘にも力が入る。単に数が揃うのではなく多くの人がこられるからこそ動的情報が生まれる。

 目標数字は、ほぼ達成か。(厳密にいうとあるラインは超えられなかった。つまりラインは101名以上だったが100名であった。ただし来賓を合わせると114名。速報値)昨年が約60名、来賓を合わせて80名弱だったのでかなりの増員であった。

 雰囲気もそれにあわせたのか盛り上がった。やはり何かしら勢いがあるのかもしれない。若い人たちもきてくれた。


 狙いは、校友会は、楽しくてためになる。次も来ようである。多くの人が集うことで多様な情報が創造される。(動的情報)日頃は接しない学縁ネットワークは、弱いつながりながら強いものとなる。グラノベターの「「弱さの強さ」のパラドックス」である。「弱い連結のほうが、広くつながるという目的に対しては、強い連結よりも強いのである」(金井壽宏『ニューウェーブ・マネジメント 思索する経営』(創元社,1993 p232~))

 ところで、宴の後の作業は、ホームページに作成。mixiコミュニティへ報告。サンキューメールとアルバムづくり。昨日、参加された皆さんへのメールでのお礼、それも一人一人顔を思い浮かべて個々にお話をするような感じである。同報メールで同文では何か通りいっぺんになると、それでそれぞれとの会話ということでやった。やはり時間がかかる。午前中からはじめたが午後に及んだ。それと同時に写真のアルバムをつくり、それを参加メンバー限定ということでお知らせすることである。これが意外に手間取る。いっせいに連絡するためのアドレスの束をつくる。うーん、やはり時間がかかった。

 あとは欠席された方とのコンタクトというかご報告をどうしょうか。あまりやるのもしつこいし、それかといって欠席だからそれで終わりではなんとなく寂しい。その人との関係もある。なにごとも報告が難しい。

 こんな作業の中、どうも我々がやっていることが気に入らない連中が何かと言っているという話が聞こえてきた。意外な活動に切歯扼腕なのか、悪口を流しているらしい。どうしようもない連中だ。まあ、それも予想外の活動成果に対する勲章かもしれない。我々の活動が気になって仕方がないらしい。ここでこんな風に書いておくとその反応がどうなるのか。まあ、言わしておけば良い。しかし、責任は取ってもらわないといけない。

2010年7月3日土曜日

「校友の集い」打ち合わせ(7/2)

 本日,7/3の「校友の集い」は、幹事会やメーリングリストで打ち合わせをやってきたが、どうもメールは徹底していないようだ。それで急遽、前日にあたる7/2に鳥よしで打ち合わせを行った。やはりメールが徹底していない。考え方が必ずしも一致していない。メーリングリストに情報を一元化したつもりが相互に電話やFAXで連絡をとり部分最適をめざされたがそれが全体最適とはなっていない。会の進め方の考え方にいろいろと相違がある。そんなかんなで打ち合わせを行うことがかなり修正ができた。これからもメールで徹底の基本で進めたいがどうもこんな機会も必要のようだ。

2010年6月19日土曜日

文系リエゾン壮行会(6/16)


 6月16日(水)、鶴見の八寮で文系リエゾンの仲間でYさんの壮行会を行った。1990年代、母校にてリクルート活動を行った仲間たちの集まりである。この会合には、採用された人たちもはいっている。その後、採用する側にまわったりした。年代の幅もあり、いろいろな業務ついていて昔の思い出、最近の業務のこと、これからのことなど話題がつきない楽しい会合だった。

1990年代は、今から見るとバブル採用だったのかもしれないが人材採用・獲得競争の時代だった。はじめて母校チームを組み遂行した。参考とすべきモデルはなく、目的、目標、方針、方法、構想、計画をたてて取り組んだ。会社の仕事なかでは前例がなく創意工夫の連続で、いろいろな部門の人たちを組織化したりして忙しいけど楽しい思い出でもある。実際に活用の前に、それぞれの人が属していると所属との調整もある。これを誤ると、その人がうまく動けない。部門によって普段の仕事の他にリエゾンということでやっかい視するところもあり、うまく進めば全社の要請に従った普段の仕事に優先をして取り扱ってくれる部門もあった。始める前も、やっているときに経過報告、終わった後の報告ならびにお礼も慎重にやった。仕事の進め方が如実にでる。

 実際に活動は、進め方、備品の用意などをチームメンバーに詳細に分担をした。第一次面接はグループで、第二次は....第三次は、と。詳細な組み合わせ表をあらかじめつくり上洛して打ち合わせをすることなくスムースにはじめることも。本人との連絡、就職部との調整などなど。備品は、それぞれの個人に分担した。背ロープ、はさみ、BGMテープ、紙、のりなど。テレコはもっていくのは大変なので後輩の学生の物を借りるなども。よくやった。ほとんどが土日であったが快い疲れであった。
 そんな仲間の一人が第一線を退き帰阪されるというので集まった。もう20年前のことであるが、社内でその後何かと集まっていたので気軽に集まれた。
 
 Yさんは、当時は営業の課長、その後部長、副支社長を経て関係会社の社長、社長を退いても建設業務責任者として取締役をなされてこのたびリタイアされることになった。リエゾン活動を通じて知り合った。このネットワークは楽しい、そして部門が違う人(会社を辞めた人もいる)が集うことにより何かと刺激がある。

(注)面接会場につかったアカデメイア21のわだつみの像や存心館の写真があったので掲げておく。

2010年6月7日月曜日

2010年5月30日日曜日

新人歓迎会 in南青山


 昨日は、大学校友会の新人歓迎会だった。首都圏校友会共催のイベントである。

 1997年に東京地区新人歓迎会としてスタートして、最近はマンネリ化というか、運営側の同窓会的、仲間内の会合的な弊害がでていた。今年は、それを若い人たちが自主的に創り上げたリ・コネクトという活動を校友会活動として新人歓迎会を行った。



 ほとんどのことは若手の企画スタッフがつくり上げた。もともと参画型、自分なりにストーリーを描いてとの持論があったので、この企画には期待をしていた。場所そのものも我々の世代には思いつかないものであり、若さあふれる楽しい会合であった。

 全体的には音楽がガンガン、話し声がガンガンとちょつと大きな声でないとコミュニケーションがとれないという難点もあったが、これはこれかも。

 もう10年くらい前になるが会社の新人研修を担当していた頃、新人の自主企画のディスコでのイベントを彷彿とさせる。

2010年5月14日金曜日

昨日は..衣笠

 昨日は上洛をした。母校のある衣笠を訪ねた。昼間だったので末川記念会館にあるレストランカルムで昼食をとった。にしんそばセット。ご飯がどうも...



 図書館では、白川文庫開設記念展示会をやっていた。写真はいいのかと聞くとだめとか。なんでだめなのかよくわからないが、たぶん何でもとりあえずはだめというのではないかと。



 法学部棟の存心館へもいった。


 それからわだつみの像も。

2010年4月18日日曜日

27階から下界をみると

 今日は、東京サピアタワーの27階のレストランTENQOOである会合が合った。その際に下をみたらこんでした。絶景かな。最近流行っている「空から...」の雰囲気である。東京スカイツリーを探したがよくわからなかった。線路の先に駅は神田駅である。

生麦で 火事で電車が

 昨日、17日(土)に、生麦地区センターで臨時の幹事会を開いた。会議をはじめてしばらくしてメンバーの一人から電話があり、子安のあたりで電車に閉じ込められているので遅れる由。その後、その方はクルマでかけつけてくれたので会議は所期の目的が達せられた。



 電車停止の子とは、すっかり忘れていた。会議後午後五時過ぎにいつもの居酒屋で懇親会である。そこでまだ電車が止まっていることを知った。京急にしては長い。話題は、代替交通手段、アイスランドの火山爆破の影響、富士山はどうなのか、戦前の東海大地震など多岐にわたる。それなりに時間を過ごし帰宅の途についた。外は寒い。天気はどうなっているのか。



 今朝の新聞で電車事故のことをみると、午後二時二十分頃、生麦駅に隣接する電気室から出火とのこと。それで信号機や踏切が動かなくなり運転ができなくなったらしい。再開したのは午後5時55分とのことでほぼ六時である。三時間くらい止まっていたらしい。106本が運休、約五万人に影響とか。結構な事故だったようだ。

2010年4月17日土曜日

新人歓迎会 in浜松町(4/14)

 4月14日、会社の大学同窓の新人歓迎会があった。1991年にはじめて以来毎年やっている。最初の頃は、何から何まで自分でやっていた。最近は幹事制度をうまくまわすことができてシステマチックに進んでいる。次期の幹事は、新人が担う。年末に忘年会をやることで幹事の連中がなされる。幹事をやることは、組織化力を肌で感じることができるので仕事にも役立つと思う。なかなか返事をよこさない人たちがいることで相手のことを気遣うというか、想像することも体験できる。連絡はメールでできるのでそれほど手間ではない。個人情報保護法の関係で内定者=新人への連絡が少し手間取る程度だ。

 この経験を踏まえて関東新人歓迎会を行った。途中係わらない時期に何かが変容したように感じたがそれはそれである。今年は大学主催でやるようだ。我々が育てた芽が大きく開いていると思えばいい。



 会の段取りは、新人には簡単ではない。こういうものは型があり、その手続きに則ることがスムースに進めるコツである。しかし、新人はそのあたりを知らない。まあ、それが普通であろう。我々も会社のなかで教えてもらった。例えば、挨拶、乾杯、懇談、中締めという進行形式がある。この会は、簡易型で挨拶と乾杯を会長にやってもらう。

 そういえば最初にやることは、日程の調整である。やはり会長に予定との調整が必要となる。時期もある。新人との連絡、主役である彼らの予定(教育など)を考えて、この会は4月の入社してからすぐにやることを決めている。配属になってしまってはなかなか決められない。

 新人は、大学では博士なり修士なり四回生で長老だろうがここでは初々しい新人だ。今年は博士もいたが同じような感じである。まあ、新しい社会というか、会社にはいり緊張をしている。



 新人は、大学では博士なり修士なり四回生で長老だろうがここでは初々しい新人だ。今年は博士もいたが同じような感じである。まあ、新しい社会というか、会社にはいり緊張をしている。迎える側も久振りの交歓に意気が上がる。ただ、新人で迎えてもらったのに迎える側にたたない人も多々いる。何だろうか。



 自然の流れで有志で二次会。これも楽しい。文科系リエゾン中心に集まる。何か恒例となっているようだ。新人採用のときのチーム、リエゾンチーム。これが大変だったが楽しかった。そんな思い出を共有するからでろあ。リエゾンチームについて別途何かしらまとめて思い出としたい。

関連サイト
http://alumni.ritsumei.jp/news/004383.html

2010年3月28日日曜日

観桜会 in三ッ池公園


 昨日は、県立三ッ池公園で校友会恒例の観桜会が行われた。絶好の日和である。開始時刻の午前11時頃には陽が照ってきて暖かい。用意した防寒着を脱いで、熱燗を用意をしたが先ずはビールである。いつもの第三麦酒とは違ってホンモノである。

 出席者は8名。最初に若い二人がこられた。新顔である。新しい人が凝られるのは嬉しい。ネットワークが広がる。次々に集まり一番上は70数歳、若い人は20代で話題がかみあわなかったりする。それを翻訳できたらいいのだが....山本富士子、田宮二郎なんていわれても20代の人は、ポカンとしている。



 それぞれが持ち寄りの料理や飲み物。自分で手作りや奥様の作品など。メンバーの手作りがいい。なかなかである。うまく説明ができないが土筆や小魚のアーモンド煮、奥様の作られたチラシ寿司、いなり寿司。おにぎりは自作かな。なかなか楽しい。食はこのようにみんなで摂るのがいい。食欲も進むし、話題はつきない。



2010年1月24日日曜日

校友会新年会(1/23)



 昨夜は校友会の新年会であった。幹事会のあとに、有志に気軽に気楽に集まってもらって新年を寿ぐというか。昨年には忘年大会をやったのでこちらは、もっと軽いタッチでということで「養老の滝」でやった。総勢23名。意外に多くの方にこられた。

。

 忘年大会は、ロイヤルホールヨコハマということでそれなりの格式と呼びかけをおこない60名。今回の新年会は居酒屋で一杯でもというスタイル。1951年文学部史学科の大先輩から2007年経営学部卒の若者まで老若男女というか、女性の参加者はなかったので老若のみというか。



 世代を超えた交歓がありおもしろかった。スピーカーズコーナーではないが、最近のアエラ誌をもとに大演説の大先輩など。



 最初に簡単に自己紹介、乾杯、そして懇談、あっという間の三時間であった。


 次の行事である観桜会(3/23)や校友の集い(7/3)など諸行事での再会を約し散会した。

2010年1月22日金曜日

1月16日、17日上洛


 1月16日に、京都で会議ありでかけた。羽田から富士山がくっきり。こんなすばらしい光景があったのか。気持ちがいい。日頃の行いのお蔭だ。空港ラウンジではクロワッサンとコーヒーをいただいた。




 河原町三条で、志津屋のカツサンド(『京都人だけが食べている』)


 宝ヶ池にあるホテルでの会議 何かしら熱心にメモをとる筆者



 翌17日、快晴の京都
 懐かしの三条大橋

2010年1月1日金曜日

明けましておめでとうございます(賀状)

 本年、**月に**を迎えます。
 改めて自分を振り返り「未来を信じ、未来に生きる」を胸に、仕事、社労士、テレワーク始め雇用社会の法の研究、校友会等の各面において、交歓・交流を通じ自己実現していきたいと思っております。
 今後とも、どうぞよろしくお願い申しあげます。


(立命館大学 末川博記念碑)