秋月に久しぶりにいった。
眼鏡橋とも久しぶりである。眼鏡橋というと長崎が思い出されるが、私は秋月である。秋月へいくときにバス停眼鏡橋がくると次は終点の秋月だと。
小さい頃は、ここをバスで通った。何か信じられない気がする。今、みるとよくも耐えられたものだと。その頃はそれが当然だから感じなかった。
この日は、眼鏡橋のたもとのパン屋でカレーパンを買い味わった。父のクルマでいった。以前はどこにでもクルマをとめて散策できたが、どこもかしこも有料駐車場である。なんとなく降りそびれた。秋月の街は歩いてたのしむところだろう。それこそ秋月の入口の眼鏡橋あたりに大きな駐車場をかまえ、そこでクルマを降りて散策というような雰囲気になればいいのかもしれない。歩いて愉しむ街。また、水路が気持ちがいいのだが秋月のバス停あたりは蓋でしめられている。残念。
観光というビジネスを考えるならば街トータルに観光資源を活かすべく設計するといいのかもしれない。もちろん住民の方の生活との共存ということになるが......
0 件のコメント:
コメントを投稿