ここ数年、憲法記念日には、憲法の本を読むことにしている。昨年読み始めた芦部信喜『憲法 新版補訂版』(岩波書店,1999)は、通信の秘密あたりでとまっている。うーん、これは情報ネットワーク法学会の通信の秘密の数奇なる運命だったか、何かの影響なのであろう。(高橋郁夫、吉田一雄「「通信の秘密」の数奇な運命(憲法)」(「情報ネットワーク・ローレビュー」第5巻 2006年5月) 高橋郁夫、林紘一郎、舟橋信、吉田一雄「通信の秘密の数奇な運命(制定法」(「情報ネットワーク・ローレビュー」第8巻 2009年5月)そういえば、これもよく考えることなくそのままとなっている。
憲法は、マグナカルタにはじまる権力を抑えるものである。(1981年9月に新婚旅行でロンドンを訪れた際に、大英博物館でマグナカルタの写本を見たなぁ)国家という暴力装置をコントロールするというか。佐藤優の『国家論』(NHK出版)は国家の暴力性を論じていた。憲法記念日を機会にこのあたりも明快に理解をしたいし、そのあたりを考えたい。
憲法というと、『憲法要論』(有斐閣)の大西芳雄先生だ。二回生のときに憲法の講義を聴いた。自由主義と民主主義の交錯とか、前文の効力、財産権などかな。大西先生は、最高裁の裁判官になられるとかの話のなかで亡くなられた。大西先生は仏の大西で、見当違いの解答を書いたテストでも可をくれた。確か、憲法における私人間の効力について述べよ、というのが問題だった。そのときには何のことわからずにまったく外れたことを論じたが.....
会社に入ってから、所得税の源泉徴収の仕事もあり、たまたま手にした北野弘久氏の本が大西先生に捧ぐとありちょつとびっくりしたことがある。『税法の基本原理(増補版)』(中央経済社)だったかな。これが税法の本にしては面白かった。北野弘久氏が『現代法7』で論文を出されているのを知っていたので手にしたのかもしれない。「租税法律主義の具体内容の理論」というものだった。明治憲法時代と日本国憲法時代の租税法律主義の条文は、あまり変わらないが天皇主権から国民主権になつたのだからその内容は如何という問題意識をもったものである。この問題意識に触発された。その後、北野弘久氏の論稿をいろいろと読んだ。税法を憲法の視点から論じるなかなかのものである。新財政法学。
その後、法学部同窓会で北野弘久氏とお話をする機会があった。三木義一氏とお話をされていたのでご一緒にお話をした。
そんなこんなを憲法に寄せてあれこれと思い出していた。
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