2011年1月30日日曜日

イタリア旅行その7(1/30,31)ローマ、ウィーン、成田

 1月30日は、いよいよ帰国である。午前四時頃に目を覚ました。撮った写真をインターネットのアルバムへアップを行うなどネットアクセスをした。帰国してメールに追われないように適宜のメールの対応をもふくめて。そのために24時間ネットサービスを頼んだ。(10ユーロー)

 そい、準備万端が整ったので、朝のコーヒーでもということで外へ出ると雨である。傘売りがすかさず向かってくる。暗いところご苦労様。しかし、こんな雨では外をでることはあきらめ部屋へ引き返した。



 ホテルロビーに集合。朝食はボックス食。それを携えてバスに乗り込む。バスは空港へ送るのみか今までのバスよりも小ぶりである。

 7時出発。まだ外は暗い。テルミニ駅が暗闇に明るく見える。市内をみながらローマ空港へ向かう。

 空港の外でダ・ヴィンチが出迎えているとのこと。雨のせいか、よくわからない。



 朝早いせいか空港には、人はあまりいない。よかった。スムースにいけるかな。






 空港での航空券の受け取りと搭乗手続きは、機械システムで各自が行うとのこと。どうやったらいいかなと思っていると空港職員がやってくれるとのこと。パスポートを差し出した。パスポートを機械にかざしながら要領よく作業してくれした。座席の指定も行っているようだ。オーストリア航空だが機械はルフトハンザとなっている。大丈夫かな。航空券・搭乗券の台紙はルフトハンザだが中身はオーストリア航空であり、安心をする。



 それからセキュリティチェックに向かう。朝食はどこでとるのかな。なかにはいってからかな、と思っているとセキュリティチェックでは水はダメとのこと。朝食ボックスのジュースを捨てることになる。もったいない。その場で飲んでしまうにも何かあわただしく開封しないままゴミ箱へ。セキュリティチェックは、往きのウィーン空港よりもゆるやかなで穏やかな感じである。まだ、早朝で人がすくないせいかもしれない。ゲートも一箇所の動いている。案外簡単に通り抜けた。それから搭乗口まで確認を含めて移動した。やっと搭乗口まできたので朝食をとることにしました。ただ、水気がない。コーヒーでもと探したが遠く、近くのフード店で水を購入、それで朝食をした。トイレなどの用足しをしても時間には余裕がある。近くで何国人かわからないが携帯電話で大きな声で話をしている。内容はわからないがうるさい。そういえば往きの国内線でもそういうことがあった。まわりに顰蹙をかっていた。ここではまわりには我々くらいである。「I wish....」と聞こえた。うーん、Iか、私は希望するとでもいうのか。日本語と比べていいオッサンが「私は...」といっているのが何かしら言語の違いを感じて妙に感動した。I wish....なるほど。



 搭乗口を確認すると、どうも違う。リスボン?。うーん、往きのように搭乗口が変更になっている。隣をみるとウィーンとなっている。こちらへ変更か。そこで待つ。なかなか搭乗開始時刻になっても案内がない。これはどうなんだろう。今回はウィーンでの乗り継ぎに時間がないとのこと。大丈夫か。ようやく発射時刻あたりに案内があった。今度もバスかなと思ったが直接乗りこめた。しかしながらなかなか動かない。既に出発時刻を過ぎている。ただ、眠い。何かうつらうつらしていた。目がさめてもまだローマ空港内である。時間は経過している。かなり遅れて離陸。外はアルプスなのか雪山。









1月31日、8時前に成田に飛行機は到着。入国審査はスムース。荷物は、ローマからの便とウィーンからの便の間が短かったせいか、最後に収納されたかでか直ぐにでてきた。税関の審査も簡単にいき、即帰宅へ。時計をみると8時30分少し前。当初、JRで帰る予定だったが念のためバスを確認するとあと7分で出発とのこと。バスに乗ることにした。乗客は我々のほかには1名。バスもスムースにいき10時過ぎに新横浜。それから臨港バスへ乗り換え。10時半前に帰宅。最初から最後までスムース、快適。時間が遅れたのはローマ発の飛行機のみ。

イタリア旅行その6(1/29)ローマ(2)



 旅行もいよいよ最終日となった。この日は、予約をしているヴァチカン美術館が愁眉である。テルミニ駅から地下鉄に乗っていく。テルミニ駅で切符を買い求める。前の日に練習をしていたが試行錯誤でやっと買えた。路線は案内にしたがっていったつもりが違うところに待っていた。東京のようにすぐにこないので気がついた。また、降りた駅からの行き方がよくわからない。韓国人らしいツァーがきたのでそれについていってやっとわかった。ヴァチカン美術館の入口がなんとも。要塞のような感じである。列ができていたが、予約表を示すと別の入口からいれてくれた。するとセキュリティチェックである。係員はかたまって談笑をしていて我々がきたからと、こちらへというふうにすることなくだべっている。通過したら家人がまだ手間取っている。うーん、これはいいなぁとカメラを向けると今まで談笑をしながら仕事をしていないかにみえた職員から注意をうける。



「ヴァチカン美術館は六万点を超える貴重な作品を千四百七の部屋に収蔵している。-ミケランジェロ、ダ・ヴィンチ、ベルニーニ、ボッティチェルリ。...作品の多くは、何トンもある彫刻だ。そして言うまでもなく、再考の財産は建築物自体だ-システィナ礼拝堂、サン・ピエトロ大聖堂、ミケランジェロの有名な螺旋階段がいざなうヴぁチキン美術館。どもかけがえのない、人類のすぐれた創造力の証だ。...」(ダン・ブラウン『天使と悪魔 上』p135以下)











ナヴォーナ広場 四大河(ナイル川、ガンジス川、ドナウ川、ラプラタ川)の噴水?





 インターネットサービス10ユーロー/24時間

 写真はネットへ 970枚 容量オーバー
 カメラを充電
 
バチカン美術館、サンタジェロ城、ナヴォーナ広場、パンテンオン、トレビの泉、教会、Sma

 紀元前753年にロムルスが建国

イタリア旅行その5(1/28)ローマ(1)

 フレンツェから半日をかけて太陽道路たる高速道路を南下。
 周りにいろいろな風景。大きな岩の上にある村、街? 説明によるとラピタのモデル?



 漸くローマに着く。まずは昼食である。レストランで昼食をとるがトイレが混んでいる。特に女性がならんでいる。それを大阪あたりのオバちゃんがしきって男子トレイを使わせて効率化をはかる。トレイは日本人ばかりである。また、このレストランでバスを乗り換えることになった。旅行社の都合によるらしい。ローマでのガイドさんも乗りこみ、旅行社の引率者らしき人も乗りこむ。日本の旅行社が現地の旅行社に依頼をするのであろう。それに添乗員はガイドができない(法的に)らしい。それでローマ在住のガイドさんをお願いするらしい。ガイドさんは関西弁のオバちゃんや。なかなかきっぷもいい。







 スイス衛兵。コートを着ている。



「大聖堂の正面に接する巨大な楕円の広場には、二百八十四本の柱が同心の弧をなして四列に並んでいる。広場の壮大さを引き立たせるために用いられた建築上のだまし絵だ」(『天使と悪魔』上 p150)このまさに四本が一本に見えるところで写真をとった。









 「ローマ市内には四百を超えるカトリック教会堂がある」(『天使と悪魔』上 p195)
サン・ピエトロ教会、コロッセ、凱旋門、フォロロマーナ、トレビの泉、スペイン広場、共和国広場

笠松

イタリア旅行その4(1/27)フィレンツェ



 クルマでずいぶんあがりミケランジェロ広場に着く。そこからフィレンツェ市街をみる。ウォー。壮大でなかなかだ。

「都市としてのフィレンツェの生みの親は、他でもないユリウス・カエサル。...誕生は紀元前59年...ローマ時代では春の盛りに祝われた「花の祝典」(ludi florales)の祭日。これが、フィレンツェ(Firenze)の古名であるフロンティア(Florentia)の由来......完璧なローマスタイルの都市として建設される。アルノ河に沿った四角形で、四つの門からの道が中央部で交叉し、街道による市外との連絡から上下水道、アルノ河の対岸と結ぶ橋、公衆浴場、中央広場であるフォールム、半円形劇場に円形競技場と、ローマ人が都市に必要と考えたインフラのすべてが整っていた」(塩野七生『ルネサンスとは何か』p71~)


 サンタ・クローチェ広場である。





 「現在としても機能している市庁舎は、1299年から1314年にかけて、ドゥオーモの設計でも有名な建築家アルノルフォ・ディ・カンピオの指導によって建てられた」(高橋友子『路地裏のルネサンス』p14)



 「「制度」というものを、人間や組織等社会的存在の行動を規則化し規制する機能を果たすものであるとすれば「時間」もまた制度である。
 ジャック・アタリの『時間の歴史』(Attali,1982)が明快に述べているように、時間は社会生活を規則化し規律ざけるものであって、各社会は独自の時間概念をもっている。中世ヨーロッパの都市には町の中心に時計台があり、市民生活を規則化し組織していた」(清水耕一『労働時間の政治経済学』の冒頭から)

 「十四世紀から全ヨーロッパに<時計>が徐々に使われだす。1335年、ミラノで定時法が制定」(澤井繁男『イタリア・ルネサンス』(講談社現代新書)p28)


 大聖堂、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂。ブルネレスキ(1377~1446)がこのドームの建築を実現。「『花の聖母寺』(サンタ・マリア・デル・フィオーレ)の円蓋をどう建造するかのヒントを建築家のブルネレスキに与えたのは、友人だった彫刻家のドナロッテとともに見てまわった、パンテオンをはじめとするローマ時代の建造物であった....パンテオンではドームの頂上部は開いてそこから外の蒼空が眺められるのに対し....耐重策の上でも耐震策の上でも、ドームの構造は変わってこざるをえない。...傾斜の度を急にすることと屋根の部分を八本の稜線で補強すること、それに加えて円蓋全体を二重構造にすることで、この難問を解決した」(塩野七生『ルネサンスとは何であったのか』p53以下)






 サン・ジョバンニ洗礼堂の門扉を飾る「天国の門」 ギベルティ(1378頃~1455)が1402年に制作。
 これは、コンクールがあったとのこと。最後まで残ったのが、ギベルティとブルネッレスキとのこと。
 天国の門とは、ミケランジェロがそういったことからのようだ。制作は、1429年から1452年まで。主要画面をとりまく預言者と巫女の雑にまじって、満足の笑みをふかべたはげ頭の老いたギベルティの自画像が彫られている。天地創造からはじまり最初の人類の誕生、その刑罰と再生の遠大な時間と世界をこの扉のなかに。

 昼食後は自由行動。まずウフィッツィ美術館へ行く。事務所という意味のウフィッツィとのこと。外観はシンプル。中は大きい。このあたりから腰に違和感を感じていて自由に歩き回れない。広大な美術館めぐるのも一苦労。ウフイィッツィ美術館からヴェッキオ橋をのぞむ。


 
 美術館の郵便局から絵葉書を出す。その後、地下のトイレで用を足す。このトイレが遺跡そのもののむき出しである。さすがにフィレンツェ。



 その後、メディチ宮あたりをめざすがよくわからない。意外に街が小さい。腰は痛いというか、なんというか。ジョットーの塔へ上るのはやめておく。ぶらぶらしていると教会の中庭にはいりこんだ。緑はなかにあるんだ。




 ミレランジェロ広場
 グロテスク模様
 大聖堂
 ヴェッキオ宮殿
 ヴェッキオ橋
 石 腰
 ウィッツ美術館
 駅
 地下街
 ジオリ
 鳥

インターネットサービスは24時間 5ユーローとのことだったが、タイミングがあわずに利用しなかった。添乗員さんに教えてもらったが....

糸杉

イタリア旅行その3(1/26)ヴェネツィア

 1月27日は、いよいよヴェネツィア、『海の都の物語』の世界である。期待に胸がふくらむ。

 ホテルからバスで移動。海が見えてきた。鉄道がある。ユーロースターが走っているらしい。よくみると先頭車両と最後尾車両のみがユーロスターらしい。それでもあれだと写真をとる。そのあたりから船着場へはいくらかもかからない。




バスを降りたら移動をするためのガイドさんが待っていた。単に移動するだけでもいくらとか..らしい。水上バスは、10人ちょっと乗れる程度の小さなものである。




うーん、なかなかいい。水を感じながら移動ができる。海の浮かぶ建物群、ホテルとか寺院とか。

 聖マルコ広場というか、ドゥカーレ宮殿のあたりに着く。ああ、ここがベネチアか。

「155の島、177の運河、410の橋から成り立っている」(塩野七生『イタリア遺聞』ゴンドラの話)

 聖マルコの遺体、聖遺物は828年「トリブーノとルスティコという名の二人のヴェネツィア商人の船が、エジプトのアレキサンドリアの港に錨をおろした。......売って欲しいと申し出た。しばらく迷った後、ついに僧たちは頭をたてに振った」(『海の都の物語』p24)


 早めの到着でガイドさんが未だ来ない。
 取り急ぎ元首公邸の横の「ため息の橋」をみる。これは今回の旅行社のガイドブックの表紙写真でもある。


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 サン・マルコ大聖堂



 建築家マウロ・コドゥッチによって設計されたルネサンス初期の時計塔。その上に置かれた鐘を打つ二人のムーア人の像。二人のムーア人のことを「ド・モーリ」という。



 ゴンドラ



リアルト橋


 「リアルトとは堤防もしくは高い岸を指す」(高坂正尭『文明の衰亡するとき』p86)
「リアルトはリーヴォ・アルト、すまわち「高い土地」という意味(篠利幸『ヴェネツィア カフェー&バーカロをめぐる、12の迷宮路地散歩』p19)





ユーロースター
水上バス
聖マルコ教会
ためいき橋
ヴェッキオ橋
文房具店