2010年7月6日火曜日

梅棹忠夫亡くなる タッチで書くことから世界が広がった

 先ほど夕刊のトップで「梅棹忠夫さん死去 民俗学者、文化勲章受賞 90歳」との記事を見た。

 梅棹忠夫は、なんと言っても私にとっては『知的生産の技術』(岩波新書)である。たぶん、10数回は読んだ。そして、ペンからタッチへがワープロやパソコンへの近づきのきっかけとなった。読んだのは学生時代で、ワープロもパソコンもなかった。ひらかなタイプライターに憧れたが買うほどではなかった。会社に入り同期生と『知的生産の技術』の話をしていたらB6のカードキャビネットを三個一万円で譲ってくれるとのこと。その同期生は、それをタイプライター購入の資金の一部とすると。その同期生は、現在福岡大学の教授をやっていて昨年それこそ何十年ぶりかで福岡で会った。そのときにこの話をしたらぜんぜん覚えていないとのこと。

 昭和53年にワープロが出た。当時600万円くらいかな。後継機が半額くらいになり事業所に入った。昭和56年の頃のように思う。はじめてキータッチで文章を書いたがなかなかうまくかけない。改めて『知的生産の技術』を取り出したように思う。実際には、山本直三さんの『日本語ワードプロセッサー活用法』(ビジネスオーム)のなかに書かれていてタッチタイプのやり方を参考に練習をした。一週間くらいで大体できるようになった。スピードはその後徐々に上がった。手元はみないで頭のなかで思い浮かべて文章を書くと簡単にキータッチができるようになった。これで私の知的生産の技術が上がった。その後、パソコンになってもキータッチができるのでみようみまねでパソコンも操れるようになった。もともとパソコンは、コンセプト、キータッチ、そして最後にプログラムかな。コンセプトというのは、今までないものを理解するということである。ワープロをやったことで、これらの概念(コンセプト)を体感、キータッチはOK、あとはbasicなどみようみまねでいくらかできるようになった。そのうちにプログラムは不要となった。

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