2010年8月15日日曜日

終戦記念日に戦争のことを考えることにしているのだが


 今日は、終戦記念日である。ここ数年、この日には戦争のことを考えたいと思っている。しかしながらなかなかきんとは考えれない。たまたま、細谷雄一『倫理的な戦争 トニー・ブレアの栄光と挫折』(慶應義塾大学出版会,2009-11-20)と末川博『平和をもとめて 末川博随想全集第二巻』(栗田出版会,1971-10-25)を少しづつ読んでいるところだ。それに、いつも読み始めながら途中でゆきづまるクラウゼヴィッツ『戦争論』を手に取ったり。写真は,昨年10月に言った大刀洗平和記念館のゼロ戦である。

『倫理的な戦争』
 はじめに はたして、倫理的な戦争などというものが、あるのだろうか。あるいは、『善』なる目的を掲げ、国境を越えて「正義」を実現することは可能だろうか。
 戦争とは、本質的に倫理に背いたものである。それによって多くの一般市民の生命が奪われる。...戦争によって倫理的な目的を達成しようとすることは、そもそも矛盾しているのではないか。」と書き出してはじまる。 

『戦争論(上)』(岩波文庫,1968-2-16)によると「戦争は...その旨とすところは相手に我が方の意志を強要するにある」(p29)
 ここでの「戦争とは何か」は
1.緒言
2.戦争の定義
3.極度の強力行使
4.戦争の目標は敵の防御を完全に無力ならしめるにある
5.彼我双方の力の極度の使用
6.現実における手直し
7.戦争は孤立した行動ではない
8.戦争は継続のないただ一回の決戦から成るのではない
9.戦争とそれから生じる結果とはいずれも絶対的なものではない
10.そこで現実の戦争において確実と認められるところのものが概念における極端なもの絶対的なものに代わるのである
11.そこで政治的目的が再び出現する
12.軍事的行動に停止状態の生じる理由は上述の説明だけではまだはっきりしない
13.軍事的活動を停止し得る理由はただ一つある、そしてこの理由は常に一方の側だけに有るように思われる
14.このような事情は軍事的行動に或る種の連続性を与えこの連続性はまたしても彼我双方の行動を極度に至らしめるかのように思われる
15.そこで両極性という原理を立てることが必要になる
16.攻撃と防御とは種類と強弱を異にする二個の相異なるものであるからこれに両極性の原理を適用することはできない
17.一般に防御は攻撃よりも強力でありかかる事情が両極性のはたらきをしばしば消滅さる、また軍事的行動に停止状態の生じる理由もこれによってよく説明されるのである
18.軍事的行動を停止せしめる第二の理由は不完全な状況判断にある
19.軍事的行動が頻繁に停止されると戦争はその絶対的な形態からますます遠ざかって確からしさの計算となる
20.それだから戦争を博戯たらしめるにはこれに偶然が付け加わりさえすればよい、ところが戦争に偶然は付き物なのである
21.戦争はその客観的性質から行って博戯であるがしかしまたその主観的に性質から言ってもやはり博戯となる
22.このことは一般に人間の精神によく合致する
23.とは言え戦争はやはり厳粛なる目的を達成するための手段である。戦争のいっそう詳細な規定
24.戦争は政治におけるとは異なる手段をもってする政治の継続にほかならない
25.戦争には二通りの種類がある
26.これら二種の戦争はいずれも政治的行動と見なされてよい
27.上述の見解から引き出された結論は戦史の理解に役立ちまた戦争の理論の基礎を成すものである
28.戦争理論に対する成果

『平和をもとめて』
 この本の最初の頁に、「立命館大学校庭「わだつみの像」の前で(昭和40年(1965)12月)」とあり末川さんとわだつみの像がでている。
 今年の5月、立命館大学を訪れた際に、国際平和ミュージアムのわだつみの像の前で。

 在学中は、広小路キャンパスの研心館前のわだつみの像が壊されて、研心館の二階にあった図書館に安置されていた。在学中はずっとそのままで、その後再建された。

0 件のコメント:

コメントを投稿