2010年8月29日日曜日

教養とは


 清水真木『これが「教養」だ』(新潮新書,2010-4-20)を読んだ。県立図書館の新着情報で知った本だ。あまり期待をしていたわけではなかった。読み出してみると、教養の歴史は意外なほど浅いとのこと。それに、もともと「公の立場と私の立場に引き裂かれた人間が、それを統合するために必要な能力」であったとのこと。このあたりから知的興味がもくもくと。そして、この能力たる地位というか、力に快適でシアワセな生活をする意味を見出す。

 以下、抜き書き
 「教養という考え方が登場しましたのは、十八世紀後半...ヨーロッパ..」p10
 「教養とは、「公共圏と私生活圏を統合する生活の能力」のこと」p15
 「職場での役割、家庭での役割、政治の場面での役割の他にもう一つ、...どこで何をしているときにもへんすることのない「自分らしさ」なるものを見つけ出す...「自分らしさ」なるものをあいだに立て、家庭と職場と政治のあいだの折り合いをつける。つまり、生活の「交通整理」をすることが期待された...「自分らしさ」を見つけ出すプロセスと、このプロセスの結果して見出されるはずの「自分らしさ」こそ、本来の意味の「教養」とよぶべきものに他ならない」p41~
「十八世紀の人々が抱いていた居心地の悪さ、あるいは違和感を解消するために要請された教養というものを、しかし、当時の人々は、結局のところ、手にいれることができませんでした」p47
「かつて、古典の価値は、何よりまず、真似するに値するという点に...」p186
 「再生産としての読書」p198~
「基礎教育ですが、幅広い知識ですか、このようなものも、当然、教養とは何のかんけいもありません」p208
「教養を身につけることは、これは困難な作業であるかも知れません。しかし、この困難な作業は、統一感のある居心地のよい生活、おそらくは「幸福な」生活を実現するためには、どうしても必要なことであるに違いない」p210

 -目次-
第1章 手垢にまみれた教養の本当の姿
第2章 「教養」という日本語の考古学
第3章 「輸入の缶詰」を開けてみる
第4章 教養を生まれたままの姿で掘り出そう

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