2011年4月27日水曜日

『京都三大学 京大・同志社・立命館 東大・早慶への対抗』

 橘木先生の『京都三大学 京大・同志社・立命館 東大・早慶への対抗』(岩波書店,2011.2.25)という本が出た。橘木先生は、労働経済学が専門で、マスコミにもよく登場される有名教授である。長らく京大の教授をやられていて定年がきっかけか同志社に転じられた。




 橘木先生の労働経済学の分野から人材とか人材育成への興味・関心があるのか以前から大学・学校の著書がある。『早稲田と慶應』(講談社現代新書,2008)、『東京大学 エリート養成機関の盛衰』(岩波書店,2009)、『灘校』(光文社新書,2010)などである。これらは読んだ。著名な先生による大学論・学校論に興味を持ったが、経験的な記述が多く、何か深い考察が足りないよう気がしていた。まあ、ちよっと失礼な言い方かもしれないが印象論的論稿というか、そういう感じであった。

 この書は、実際に勤務された、されている京大と同志社というので印象論がでてくるのは仕方がない。より深く知識があり、それらがベースとなり述べられている。三高・京大のところは、もともと知らないこともありなるほどと思った。立花隆の『天皇と東大』や竹内洋『大学という病』だったか東大のことはそれなりにわかっていたからかもしれない。

 同志社については、語られているのは、創立時に大物人材が出たが、それ以来はなく、もともとおっとりしていて最近やっとめざためのかなというくらいで内容は乏しいというか、何かかわいそうの記述という気がする。身内に厳しいのかもしれない。それでも佐藤優のことがふれられていた。鬼才・奇才・佐藤優はなかなかである。神学というものを我々に近づけてくれた。そして知というものを考えるきっかけでもあった。知識、教養が意外に役立つ、力強いということを何かと証明してくれた人物と思う。

 立命は、知の巨人、世界的な学者の白川静、ユニークな企業経営者・安藤百福、プロ野球の知性派の古田、長谷川など多彩な人材を紹介し論じている。中興の祖の末川さんことも当然ふれらて、共産党幹部の市田書記局長や穀田国対委員長など本当に多彩であることがわかる。流政之もとりあげらていた。著者と同じく日経の私の履歴書で知った流は本当にユニークである。これぞ立命かもしれない。立命館史学も取り上げられているが、梅原猛は日本史専攻ではない。哲学である。本当は古代史の北山茂夫、中世史の林屋辰三郎、近世史の楢本辰也であろう。いろいろとユニークな人々を登場させるには紙幅が足りない。

 これからどうなるのか展望の考察が今ひとつかなという気がする。単に競争意識くらいではどうにもなるまい。立命がこれだけいろいろとやっていて、それでも関西では「なんとなく、なんとなく同志社」というのはどういうことなのか。関西におけるこれらの意識そのものに迫るものがあればと思う。既に1960年代から1970年代にあたりには法と理工は立命が上といわれていた。理工はともかく法はスタッフをみただけでも一目瞭然。それが1980,1990年にブランドというのか、雰囲気というのかすべてにわたり同志社が上というふうになったと体験的に感じている。1990年代に同志社にはない国際関係学部は立命の最難関というか、それなりに注目される存在だが同じようなところはブランドの違いがでていた。

 それに、今は私が注目する太田肇教授や橘木教授など活躍する学者を積極的にとりこんである同志社に活力も感じる。

 大震災で、東京から関西・京都へ人材が流れるのではないかというときにこんな本が出て世間はどう注目するのかな。





 この本を読みながら林屋辰三郎『京都』(岩波新書,1962)の15章『学問と芸術の都市 大学』を参照した。さすがに林屋先生は、学問的、学者的に述べ方で何かしら品位が漂う。京都はこのような1962年に出版されたものでも役立つところが嬉しい。

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